フリーのプログラム言語HSPによる、
文字情報主体のシンプルで自由度の高い野球ゲーム
「テキストスタジアム」を制作中です。

ss2012.png

◆ 2012/11/1 ◆
「トライアル版 」HSPプログラムコンテスト2012 に応募しています。

公開予定の選手データに、
ニコニコ動画ででこるんさんが公開されている、
「東方野球in熱スタ2007」の設定をお借りしています。
※コンテスト応募版は東方野球のデータではありません。

2013年01月05日

新年に改めて意識を

謹賀新年。
本年もどうぞよろしくお願いします。

ところで、たまたま知ったのですが、ある程度HSPを触っているなら、その名を知らない人はいないと思われるおちゃっこさんが作成されたプラグイン、Easy3Dが、作者さんの手を離れたというか、これ以上の開発・サポートが停止するというか(作者ご本人のサイトでのサポートが終わったのは、そんなに直近のことでもないそうですが)、いろいろと「思うところ」がおありのようで、そういう形になったとのことです。

考えてみれば、私の使わせてもらっているHSPそのものにしても、未来永劫にサポートが続いたり、コミュニティが存続する保証があるわけではありません。
これは何も、HSPのようなフリーの開発環境に限った話でなく、一定以上のノウハウを持たないユーザーにとっては、提供されている(有償無償を問わず)環境の公式サポートが終了し、その後のハードやソフトなどの変遷によって既存のものが使えなくなれば、わりとすぐ「お手上げ」になり、使用を諦めざるを得ない状況になるのが現実です。

私は、いわゆるデジタルクリエイティブというやつは案外、刹那的だったり儚いものだったりするのではないか? ということをしばしば考えていました。
単純な例を挙げるなら、20年前やそこら、いやもっと昔の漫画とか小説とか、紙媒体のものは多少ボロボロになっても問題なく読めるじゃないですか。
一方、PC上で動くソフトは、まず記録媒体が現行のハードに対応していないし、今よりずっと「単純」だったはずのプログラムを、昔よりずっと飛躍的に「処理能力が向上」しているはずのPCで扱うには、それなりの知識・技術が要求されます。

昔(といっても年数にすればタカが知れている)のマイナーなハードのゲームソフトを、「これは思い出の一本なんだ!」と後生大事に持っていても、実際に動かすことは不可能になり、提供者側が同タイトルを現行ハードでリバイバルするか、過去のソフトをダウンロード販売するサービスに加えてくれないことには、再び遊ぶことは叶わなくなります。

遊びの面だけでなく、ワープロソフト、テキストエディタなどの実用ソフトにせよ、自分がどんなにその環境に馴染んでいたとしても、サポートが終了してしまえば継続して使うのは極めて困難で、いずれ「乗り換え」を余儀なくされることになります。
私の母は、実家にある足踏み式のウン十年前のミシンで、問題なく裁縫を続けられているのに!

私が趣味で手を出しているゲーム制作に限らず、デジタル創作は個人で出来ることの幅が広く、概ね環境も快適なものになっていく流れがある一方、大多数のアマチュア創作者にとって、第三者から与えられる「環境」に大きく依存しているのが実際です。

HSPが使えること、使わせてもらえることを、あまり当然のように考えず、私としては現在の環境が有効なうちに、どうにか野球ゲームを形にしたいものだという意識を強めました。
※もちろん、HSPの環境がすぐに危うくなるとか、そういうことを言いたいわけではないです。
posted by うずランド at 18:25| Comment(2) | TrackBack(0) | アマチュア創作道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

「開始」と「継続」

義務的な縛りが基本的にない、ゲーム制作についての話になるのですが、自分にとって作業が進む時とそうでない時の、なんというか「パターンの違い」みたいなものを改めて考えてみました。

・作業(その日の)にかかるにあたり、「今日はこの部分をここの区切りまでやろう」と考える。
  ↓
・その「区切り」の設定は、まあそこそこ妥当な作業量であるはずだが、心情的には少し物足りないというか、全体の中のごくわずかなステップに過ぎないことを自覚。
  ↓
・その次、またその次に控える工程が思い浮かび、(趣味で好きなことをやっているにもかかわらず)気持ちが萎える。
  ↓
・作業に対して腰が重くなり、なかなか実際に手を動かすことをしなくなる。
  ↓
・ニコ動とか見たり、出勤前の早朝に作業することも「寒いし面倒」(暖房を点けるのも面倒だったりする)とか思ったりして、作業を放置する日が重ねられていく。


これが自分にとってありがちな、作業が進まない時の主なパターン。

反対に進む時はどうなのかというと、

・「今日は何をするか」を確認する前に、とりあえずパソコンを立ち上げる。
(早朝作業の場合なら、まず靴下を履く)
 ↓
・実際のスクリプトと、昨日までの進捗具合を書いたノートを眺めつつ、なんとなく作業開始。
 ↓
・手を動かすうちに、時間的・気力的なものから「今日はこのあたりまでやるか」という目処が決まる。
 ↓
・たいてい、最初に決めた目処に少し届かないまま作業は終わるが、たまには(10回に3回くらい?)「思ってた以上に進んだ!」という時もある。
 ↓
・仮にニコ動とか見ても、いわゆる作業用BGMになるものをチョイスするので問題なし。


だいたいこんな感じでしょうか。
こんなふうに文章化するまでもなく、最初の「ひところがり」が鍵を握っていることは自分でもわかっていたはずです。頭の中では。

「何かを始めるのは簡単、それを継続するの困難」といった意味のことがよく言われますが、こと日々の積み重ねにおいては、とりあえず始めるまでに一つの壁があるものなのです。
まあ、この場合は趣味とか遊びの範疇なんですけど、そういうことでさえ……ね。

なんとなく始めて、そのうちになんとなく区切りが訪れる。
このサイクルを今日も「継続」させていきたいと考えています。
タグ:ゲーム制作
posted by うずランド at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | アマチュア創作道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月01日

12月から本気出す

今年の8月あたりから、仕事の状況がとりあえず落ち着いて、新しく転勤した先の人間関係なんかも良好で、さらには自分にとっていろいろ「励みになる」はずの出来事も少なくなく、公私ともどもこれから充実させていくべき流れが訪れていたわけでありました。

ところが、こちらの野球ゲーム制作関連の事項に絞って考えてみても、10月のHSPプログラムコンテストに合わせて成果物を仕上げられず、それはそれとして11月からの立て直しを目論むもペースが上がらないまま月末に至った現実があります。

「さあ、これから!」という感じであった晩夏から秋口にかけて、思うように意気が上がらない(ゲーム制作に限らず)ことは、前回の記事(→参照)でも触れた「2010年11月ショック」に起因しているという自覚がその当時からありました。

まったくもって、無駄に細かい硝子細工の器に盛られた豆腐のごときメンタルであることを再認識させられるばかりです。
砕けたりなんかした日には、硝子の破片が豆腐に混ざって、もうワヤクチャになってしまうわけです。

それがまあ、とにもかくにも、一年に渡って中断していた英語学習を再開し始めたことからも明らかなように、ようやく本格的に立ち直らんとする兆しが出てきたことは大変に喜ばしく、この勢いに乗らない手はありません。
私はここで宣言します。

「12月から本気出す!」と。

実は先月も、「11月から本気出す」という考えがあったわけなのですが、虫の知らせというか、無意識のうちに自己分析をしていたものか、それをブログに書くことに自分でストップをかけておりました。

アマチュア創作者が制作活動を実践するための方法として、「〜をする」ということを他人に宣言しなさい、ということが言われたりします。つまりは、そうすることで自分を追い込めというわけです。
なるほど、確かに有効な手段ではあるかもしれませんが、それは同時に諸刃の剣な側面を持っていることもまた事実なのです。

なんぼ「自分を追い込んだ」ところで、でけへんものはでけへんのです。
「宣言する」ことは決して軽いものではありません。
「宣言してみたけど、やっぱりダメでした」みたいなことが重なるようなら、それは創作者としての命脈が断たれることに直結します。
然るに、私は10月のHSPプログラムコンテストに応募できなかった時点で「それ」をやってしまっています。
その上、「11月から本気出す」と宣言しておいて、現状の体たらくに陥っていた場合、冗談抜きで息の根が止まっていたに違いありません。
私のクリエイターとしての本能がそれを察知し、事前に回避したのです!
……
…………
………………
後生ですから、そういうことにしておいて下さい!!

で、こんなことを書いた上で「12月から本気出す!」宣言をしたということは……
賢明なる読者諸君の皆々様はもう、おわかりですよね?

私の命運が続くか、ここで尽きてしまうのか。
ヘタレな人間の常套句「〜から本気出す」ではありますが、私は重大な覚悟を表明しているのです。

もし、相変わらず12月もグダグダでした、という結果に終わるようなら、私の野球ゲーム制作活動は「第一部・完」ということになるでしょう。

今回の大見得(?)、吉と出るか凶と出るか……果たして?
posted by うずランド at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | アマチュア創作道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

「リアル」な数字

当ブログのテーマを考えると、今回の記事タイトルからは「野球ゲームにおけるリアルな成績」の話題が連想されるところです。
しかしながら、実は野球および野球ゲームにまったく無関係な内容なのです。

皆さんは、ムツゴロウさんこと畑正憲さんをご存知でしょうか?
私の子供時分には、「ムツゴロウと愉快な仲間たち」と題したドキュメンタリータッチの特番で、しばしば「ムツゴロウ動物王国」の様子がテレビで紹介されていたものでしたが、その番組もなくなって久しく、また東京にテーマパークとして進出した「動物王国」の経営破綻が報じられたり……



それでも北海道に本拠を戻した「ムツゴロウ動物王国」は健在であり、畑さんもお元気なようです。
→「ムツゴロウ動物王国」のサイトはこちら

さて、私が小学生の頃、畑正憲さんのエッセイ(書名は覚えていません)を学校の図書室で読んだことがありました。
麻雀を打っている描写の多かったことが印象的でしたが、収録されたエピソードの中に一つだけ、私の記憶に強く残り続けている内容があって、今回はそれについて書かせてもらいたいのです。

そのエピソードとは……
正直、細かいところは曖昧なのですが、畑さんのところへ居候していたという、ある知人(後輩とかだったかも)についての話です。
とはいえ、あまりページ数や行数を割いて書かれたものではなく、ちょっと軽く触れられている程度の内容だったと思います。

どういう経緯だったのか、そもそも詳しいことは述べられていなかったのか、そこらへんもよく覚えていないのですが、その居候していた知人が小説を書いたそうなんですよ。
五年ほどかけて書かれた、二百枚くらいの小説だったとのことです。

具体的な内容には一切触れぬまま、畑さんはその小説を辛辣にこき下ろしていました。
「気持ちの入っていない、上っ面だけ取り繕ったもの」という意味のことが書かれていたと記憶していますが、小説自体がどうこうという話ではなく、その知人の生活態度や姿勢(小説を書くことに限らず)を叱ることが主題のエピソードであったと思われます。

私は長い間、現在に至るまでも、このエピソードの一部分だけが頭を離れずに残っています。
それは……
「のべ五年がかりで二百枚」という数字です。

五年を(も)費やして、やっと? ようやく? せいぜい? どうにか? 書けた分量が二百枚……

おそらく、箸にも棒にもかからないであろう内容はさておいて、とりあえず二百枚の原稿を書き上げるのに五年!

五年で二百枚!!
これが凡人の「燃費」なのか?

リアルやわー
ほんまにリアルやわー
リアル過ぎる数字やわー

その居候の人が一体、どういう意図をもって書かれた小説やったのか、そんなことはさておいて、とにもかくにも二百枚書くのに五年!!!

これが凡人の「現実」!?
恐ろしいほど「リアル」な数字やないですかっ!?
皆さんはそう思わはりませんかっ!?

……
…………
………………

野球ゲーム制作に手を着け始めてから、おおよそ四年。
やや停滞期に入っていることが自覚される近頃、このエピソードが心に重く……

それでも凡人は凡人なりに、できることを積み重ねるより他ありません。
辛気臭い内容でお目汚し失礼。
タグ:畑正憲
posted by うずランド at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | アマチュア創作道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

アマチュア創作の「寿命」

アマチュアによる創作(同人)活動は、どの程度の「寿命」があるものか?
ふと最近、そんなことを考えたりします。

進学、就職、転職(失職)、結婚、子供の誕生などなど、人生のうちにはいくつも転機が訪れるものです。

そうやって環境が変わり、多くの場合は自由になる時間が失われていって、また時間を捻出しようとする気力も続かなくなって、「そのうちまた何かやりたいとは思ってるんやけど……」みたいなことを考えながら、実際には何もやっていない日々が繰り返されて、気がつけば「終わっている」というのが、アマチュア創作終焉の典型ではないでしょうか。

あるいは人生の節目・転機をきっかけに、意識してスッパリと「幕を引く(筆を折る)」場合もあるでしょう。

まあ考え方、趣味との付き合い方は十人十色だとは思います。
なので、私の感覚がご理解いただけない方もいらっしゃるでしょうが、個人的に創作活動(括りが広過ぎますが)という趣味は、ただ楽しいから、好きだからといって続けるには、どうにも「重い」ように思えてなりません。

とくに漫画系、イラスト系、それに小説をはじめとした文筆系なんかの場合は、とくにその傾向が強い気がします。
もしかすると音楽系だってそうかもしれません。

と、いうのは、そういう趣味に若い(幼い?)頃から手を出す人間は、多かれ少なかれ一度くらいは「趣味を仕事にする」、「プロを目指す」ことを意識しがちであり、たいていはそれが叶いそうもない現実と向き合うことを余儀なくされるからです。
あきらめが早いか遅いか、けっこう本気になるか「ちょっと夢想した瞬間」があるだけか、本当に人それぞれだとは思いますが……

一方、それなりのレベルの作品を……そんな大層な話ではなく、とりあえず単に作っているテメェ自身くらいは満足させる程度の作品をこしらえるためには、少なからぬ労力を要するもので、好きなことをやっているはずが、なかなか軽い気持ちで楽しむのは容易でなかったりします。

掲げていた理想は遠くなり、頼りなく豊かなこの国で何を賭け、何を夢見るかわからなくなり、仕事終わりのベルに囚われの心と体を取り戻したところで何もできない日々が果てしなく続く生存競争(と書いてサバイバルレースと歌う)を走り疲れたJ.BOYが叫びたくなり、趣味としての創作活動はいつしか終わりを迎えているわけなのです。


↑野球ゲームを作ることで打ち砕きたいんだよ!
日常ってやつを!
その空虚(虚しさ)ってやつを!


活動を始めてから「寿命」が尽きるまで、果たしてどれだけの期間があるものか、それは人それぞれの命と同様、終わってみるまでわかりません。

まあ、創作活動の楽しさ・達成感みたいなものは、ある程度の「産みの苦しみ」とセットなのでしょうが、中にはそういう苦しい部分をうまく消化できる人もいて、もしかしたら素人創作に必要な「才能」というやつは、そんなふうに活動に対して思い詰めないでいられる能力なのかもしれません。

こんな文章を書いてる時点で、私にそうした才能がないことは明白であり、そういえばどのようにしてこの記事をまとめるつもりで書き始めたのかも今となってはあやふやであり、もしかしたら勢いに任せてこんな駄文を書いてしまった時は「せっかく書いたんだし……」的な感情を捨てて、自ら没にできることがブロッガーにとって必要な才能なのかもしれません。
そういう人がアルファブロガーとかパワーブロガーとかになれるのでしょう。

それはそうと私は前々からとくに理由もなく、なんとなく言葉の響きが好きだという程度の動機から、「ブロッガー」という表記を用いていますが、その単語からは往年のアーケードゲーム「フロッガー」を連想して、HSPの独習を始めた頃、習作としてオレの心の土着神の頂点を極めている洩矢諏訪子様(東方キャラ)を使ってフロッガーもどきのアクションゲームを作ろうと妄想していたことを思い出しました。
道路を渡って以降に出てくるヘビはもちろん神奈子様です。
ボーナスキャラのハエは言うまでもなくリグルで……

→「フロッガー」をご存知ない方は、ウィキペディアをチェックやっ!!

結果的に、テキストベースの野球ゲームに要求されない処理を学習することは省略して、一直線に「自分のやりたいことを実現する方法」を目指したことは正解だったと思います。
だから、例えばこれからHSPでゲームとかを作りたいと考えていて、広く深く基本から応用まで、じっくりと勉強しようとか考えている人は、それよりひとまず自分のやりたい処理に限って身につけるようにした方が挫折しにくいと思うよ、ということを述べて本日の記事の結びとさせていただきます。
posted by うずランド at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | アマチュア創作道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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